昭和のころの投網スタルジー

■投網漁と寄せ打ち/昭和初期〜戦前戦後

三代前のあみ貞(あみてい)の祖父、小島貞蔵の網船全盛期の写真(下)です。鉄橋は今の江戸川・浦安橋です。お客様は、異様なるかな全員山高帽にネクタイ、スーツ姿。外套をはおっているので季節は秋口から初冬と思われます。
なぜスーツ姿なのか。それは『タニマチ(※俗語。そのむかしの歌舞伎や相撲などのスポンサーのこと)のお大尽遊び』だったということです。タニマチは正装で網船に乗る。網船はチャーターではない。実はご贔屓の船宿に彼らが造り与えてくれたもの。もちろん高価な、小さい発動機が付いていて、それに乗って船頭に豪快な投網を打たせ、ビジュアルとして見て楽しむ。魚を捕らせる。天ぷらで、お造りで食して江戸前を堪能する。
異様がもう一つ。祖父は山高帽をかぶって網打ちしています。タニマチの高価な贈り物だったと思われ、それをかぶって網打ちすることがステータスだったのでしょう。

■投網漁と寄せ打ち

同時代の投網漁の様子です。舵子と打ち子だけの小さな漁船はエンジンなしの櫨櫂船で、これは自前の船。普段は単独で漁に出ますが、時に何隻か集まって「寄せ打ち」という漁をしました。タイミングを見計らって次々に投網を打ってゆきますが、最初に打つ人は仲間内で決まっており、名人が第一投を打った、ということです。当家の祖父は名人中の名人だったそうです。
寄せ打ちと投網漁

■昭和50年ごろの網船

20歳のころの現在のあみ貞の親方です。浦安沖の沖埋め工事が始まった時分、今のディズニーランドあたり〜葛西沖です。漁で鍛えた投網を網船でお客様に見せる。すでに一人前でした。船もずいぶん大きくなって12人程度は乗れました。獲物はスズキ、コノシロですね。網が持ち上がらないほど獲れた時代は昭和30年代まで。40〜50年代は湾奥大埋め立て工事時代で、漁がダメになると船遊びとしての網船も下火になりました。

■2001年「細川流江戸投網保存会」立ち上げと”お江戸投網まつり”の実施

投網漁、または網船は、つい30年前までは日常の商売でしたから、第三世代に代替わりしても、伝統は受け継がれました。それを未来に残そうと2001年5月、江戸川の船宿若手経営者有志とともに『細川流江戸投網保存会』を立ち上げました。また同会では投網づくり、漁、パフォーマンス、練習会等、日ごろの活動の成果をお披露目するため、毎年5月5日に『お江戸投網まつり』を開催しています。
 複数の屋形船から打つ寄せ打ちは圧巻。 江戸投網保存会サイトにその内容を掲載しています。 また、江戸川区役所の「江戸川の伝統文化 投網漁法」は動画にてその概要を紹介しています。ぜひ、ご覧ください。お江戸投網まつり

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江戸川区役所「江戸川の伝統文化 投網漁法」の動画を見る


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